木魚1 

 

人生最大のイベントはいつ来るのでしょう。
仏教では出逢ったらおしまい
とよく聞きます。

出逢うということに大きな意味があり
大きなトランスフォームそのものがあるのです。

あまりそういうことを気にしないで生きている人の方が多数ですが、
「常に自分の側に選択肢が与えられている」
そう思って疑いもしないということがあり
そもそもその人にとっては当たり前すぎて
そういうこと自体考えてみたこともない人がいます。

崇高なる精神とか霊格の高い存在とか
スピリチュアルと最近は言われるもの
この世界は求める求めざるその人の意思に関係なく
影響を受け恩恵を受けています。

でも選択肢、選択権について考えてみたこともないと
ほとんどこれらの見えない恩恵は
降る雨のようにその人に注がれながらも
一滴も潤されないという毎日がすぎていきます。

すごく専門的にこの分野の中心にいても、
まったく同じ状況の人も沢山います。

全ては選択肢についての認識の誤りです。

論理的にやりとりしているうちは
かなりの素養があると見込んでいても
少し具体的に踏み込んで共有してみると
まったく見当違いだったということはしょっちゅうです。

自分の側に選択肢はある。
縁というものは自分が結ぶもので元々は切れている。
そう思い込んで価値判断を構築している人は
人を振り回すから責任ある立場にその人がいたら
その組織集団は大変です。

でも
わかったからといって、どうにもならない のがこの分野の難しさ

かくゆう私にも選択肢はないのですから。

あらかじめ見分ける自分の知見の精度の高さを磨く他なく、
ああまだ精度が低いと反省する他なく、
気づいた時に距離を置くほかありません。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中