モノからコトへ

説法供養 5

親(主・師)孝行、したいときに親(主・師)はなし
というコトわざは、後悔のイメージが強い。

本来は、偉大な親(両親や親のような人)や主(雇用主や主人)、師匠の言葉や行為は随分後になってからその真意に気づく、という気づき。偉大であるほど時間をかけて人生に浮上してくる。
また、偉大な子(従・弟子)ほど、親(主・師)の崇高さが遠く遠く長い年月にわたり、子孫にまで被って深い気づきが継続していく。
まさに語るはカブレル、謳うはウッタエカケルが語源の通りだ。

次のこの世に生まれ変わってきたときまだ、前のこの世での自分の偉大さが語られている。
報恩の巽風が吹いている。

「親孝行、したいときに親はなし」と、自分も言えるようになったんだなぁ
と、自らの成長を自分で自分を褒めるという、アイディンティティが確立する
これが仏教でいう安心立命(アンジンリュウミョウ)の境地です。
自己承認欲求という他人に認めてもらわないと気が済まない欲求は、
自分のことをよく知っている自分から逃れようとする脇道。
そこから抜け出して透明で誠実に生き始める入門編です。

 

さて、

人類の長い長い潮流がひとところに集まり密になっている今

狩猟採集的 1万年〜3万年前まで
農耕備蓄的 1万年
工業資本的 西洋では約360年 日本では約180年
情報格差的 おおよそ60年

人類が辿ってきたそれぞれの時代の主流と産業は
断片的にその時代その時代だけのものではなく
前の時代のモノのが次の時代のコトにうまく乗り合わせ
時代を超えて生き延びている

そうして今 この人類700万年?400万年?30万年?3万年?の潮流が
近代という都市密集型能率効率最優先文化によって共存している

それぞれの時代の特徴を紐解いてゆけば
自分が何時代的であるか一目瞭然

いわば 人類史から読み解くバイオグラフィー

明らかな事は
前時代のモノは次時代のコトにうまく乗り合わせることで
時代を超えるということ
これが新時代に生き残る重要素

今 まさに次時代の扉がフルオープンになった

然るに
ここで仕損じるか仕損じないかは
モノはそのまま抱き抱え続けてもいいから
コトの方は手放すということ
これで決まる

次の時代はいかなるモノゴトが主流か?
おおよそ見え始めているが
それも現時代のコトの主流の中から生まれてくる

まさに激動の乱世

先師先哲 父母師匠がやってきた
コトに乗っかっていると共倒れる
モノを引き取りコトを自ら見出していく
そこに恩ある人を護っていく活路がある

全ては自分の思いと考え(こころ)
起きたモノは選べない
起きたコトは選ぶことができる
ただそこには心があるだけ
チャンスは心にある 心は環境にある

昔の聖者はこれを

月こそ心よ 花こそ心よ

と詠んだ

見えているものは
他人ではなく自分なのだ
自分のことは観察できても
人のことは尋ねるしかない
この自他の関係に徹底して対話する

己こそ己のよるべ 己をおいて誰によるべぞ
よく調えし己こそ まこと得難きよるべなり  ダンマパダ

この前提(前庭)を抜けたところに
大人の入り口がある

その入り口で待つしかないのか

 

 

宝光寺潮叡 拝

 

 

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