確実に未来を掴む

変革の世が現実味となった今、確実に未来を掴むための第一義は、2500年も前に、すでに、お釈迦様が明らかにされています。それに従って、一つの読み解きと指針を立ててみたいと思います。

経世済民を営む
資本主義、近代社会というものの限界に直面し、新時代を意識する今、宗教というものはそこにどう参加するのか?参加すべきことを前提とし、寺院の社会的役割の基本概念について考察した。

産業の基盤
「神様仏様っているの?」という素直な子供の質問にどう答えるかということは、些細なことの様で、その子供の人生において重要な問いであり、大人の答え次第で子の人生が大きく変わることは明らかである。

宗教や仏教の活動の流れを眺望的に捉える時、自然の恵みとの関係性に触れることになる。

布施とは人と人の間での行為という認識が先立つが、実は自然界からの布施を我々は受けずしては一瞬たりとも生活は出来ない。

その圧倒的な布施力の前にはただひたすら額ずき拝む外なかったこと、祖先が宗教を発見して以来、今でも変わりはない。

また、人間力として、その大いなる存在からの布施と受け取った知性と感性があったが、約360年ほど前に出現した近代文明はこれに対する否定的思想性を育てる傾向をもっていた。これは、ギルガメッシュともののけ姫の対話において見出せるものである。

 

世界的にどの宗教においても太陽信仰を取り入れていることは明らかである。かつては宗教の力をもって取り出され、また取り込まれてきた。言い換えればその力を安全で恵み深い生命力に交換する力をもっている存在への畏敬の念が宗教となった。それから外れ独自に自然力を取り込むルートを開発したのを近代科学であると呼ぶ。それが本格的に始まったのが約360年前である。そしてその思想性における一つの結果として福島原発事故がある。

日本とはそういう意味では不思議な国である。一方では国神として天照大神を祀り、一方ではその祖神から承ったエネルギー交換の神秘を捨て、新しいルートを採用してきた。横を向いて礼拝しているような姿である。

 

宗教は大いなる恩恵を無償で与え続けてくださる存在に対しての報恩ということであり、また、その圧倒的恩恵は直接受け取ることはできない故に、その媒介者、インターフェースなる存在者に対して、特に意識を向けていく、これはいわば、魂の縦軸であり、一方で肉体的横軸と言える。

 

原発による脅威と今始まったコビット19の脅威はこの縦か横かの違いあれど、同じ文脈の中で捉えることができる。

しかるにこの事態を通して我々宗教者の今後を考える時期でもあるとの地点に立てるなら、新たな地平は見えてくる。

これは宗教者に限らず、多くの啓蒙指導者、鑑定者、教育者において共通の理念となる。

 

教化には、自ら翻訳者、もしくは交換者となる道と、優れた翻訳者、交換者に帰依してその威力を頂いて伝えるという二種類あると整理できる。

今、後者における構造が崩壊し、前者における活動の活性化、もしくは後者における活動の再構築を迫られている状態である。

ただし、これまでとは明らかに違うところは、魔術化は好まれないということ。

 

産業に第1次から順にある通り、宗教活動においても、第1次~第5次くらいまでを整理してその構造を見える化し、役割を明確化することは宗教を組織的に纏めるためには必要なことだろう。

おそらく社会的宗教活動におけるそのほとんどの次元においては、時間差はあれどコモディティ化される。専門家として確立していくには第1次であり、翻訳者、交換者であることを求められる。

 

人類が宗教を発見して以来、大いなる存在との付き合い方は、表面的にはよく似ているが明らかにその意図は二分されていた。一方はその存在を支配するまたは打ち負かすということ。もう一方はそれに随いまた一部として生きようとする意図があった。

当時は国のまつりごとにおいて、亀卜や太占による意思や先行きの読み取りをし、それに随い令を扱っていた、数千年をへた今も、依るモノが変更されただけで、国家の指針を立てる方法論、応対辞令は変わらない。いわば魔術的対応である。それをどうするか?。仏教も儒教もお釈迦様、孔子様の当初よりずっとその課題と向き合ってきている。

新しい時代へと社会体制が変更されるならば、新しいパラダイムが生まれて、そこへシフトされていく。そこでは「パラダイム効果」、仏教でいう「これまでのサンスカーラの影響」についてを共有しなければ、パラダイムシフトを遂げることが出来ない。パラダイムシフトが出来なければ、新しい社会に適応出来ない。適応できなければその社会においての役割を果たす事は出来ないどころか、自立したひとりの生活者たりえることすら出来ない。

パラダイムとは理性や意識のみならず、五感の作用までも管理している。

思考も感情も実はこのパラダイムによって管理し支配されているという真相がさとりである。
パラダイムの検証こそ、新しい社会において自分が利益を得て社会的命を獲得するための確実な第一義であることは間違いない。

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