伝わるからだの探求⑤解説2

本文
ハンチントンの「文明の衝突」は、ほぼ宗教によるとのアナウンスでした。一方、日本では大本教の万教帰一「文明と宗教の調和ある融合」が謳われてきています。ハンチントンのいう「文明の断層線(フォルトライン)」もすでに地図上に明確に引けない状況に至っています。

調和の道を取るか、あくまでも衝突し勝ち取っていくか、この二択しかないという認識、果たしてそうなのでしょうか?このロジックには落とし穴がありそうです。

読み解き
サミュエル・ハンチントンはアメリカの国際政治学者、コロンビア大学の「戦争と平和」研究所の副所長を務めた方。
1993年アメリカの外交問題評議会が発行する『フォーリン・アフェアーズ』誌に「文明の衝突」を発表しました。これをきっかけに文明に対する議論が世界的に盛り上がったこと、そしてその内容が大雑把で、イメージや風潮のみが先行してしまったことから見ても、すでに相当近代文明社会への危機が深刻化していたことがわかります。

以来、四半世紀を超えましたが、この近代社会というものに対する明確な危機意識をもって、改善に取り組む人は現在日本にどのくらいあるのでしょう?

この「文明の衝突」の内容も含め、近代文明の特徴である、デリケートさ、繊細な感性、論理的な綿密さ、豊かな想像力、寛容なる精神、他者に対する思い入れの深さ、人類愛などの欠落はどこから生じてしまっているのか?

前文のスクラムユニゾンプロジェクトを宗教間に置き換えることに違和感を抱く方があれば、近代思想の内容と及ぼした影響、そして自分の思考法との関係性をいち早く検討してみることをお勧めしたいと思います。

それは、これまでとこれから、今年までと来年からでは、こういった人類において共有するべき思想体系にいよいよ変化が生じるからです。

もうお気づきの方々でいっぱいな話題ですが、白か黒か、善か悪か、やるかやらないか、ある1点の差において合否を決定する。これが近代思想の現実ですが、そういう規則だからしょうがないとの諦めはあっても、これからもずっとそれで何の問題もないと思われる方は、ほぼいらっしゃらないでしょう。

国境線にしても同じことですし、政治思想にしても同じことが言えます。

そういった意味で、ハンチントンの整理の仕方は我々日本人からすれば、ちょっと大雑把すぎるし、承諾しかねるという印象を強く抱くところが多いと私も思いますし、私が考えのお手本とさせて頂いている鎌田東二先生もこのことについて明確に指摘をされています。

ステレオタイプ、実際に現場の状況など全く知らないでいて、なんとなく飛び交う情報の中だけで判断を下し、それが現実に大きく影響してしまうという危険性を示唆する一つの書物でもあります。

ここで近代思想を超えて思考法を考えていかねばならないことは、
調和か対立かという二項対立ではなく、調和からも対立からも好ましい関係性を生み出せるという認識を共有していくことであります。

善とは通常悪を否定するものです。そのこと自体には問題はありません。そのあと問題が起きてくるのです。
お釈迦様が悟られた善はこの善ではないというところに、仏教の深さが現れています。

(つづく)

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