はじめまして

大垣市三塚町 宝光寺です。氏神さまと湧水から始まり、鬼門ラインを守るお寺となり今に至ります。

そんなこのお寺の縁起に随って色々話していきたいと思います。

よろしくお願いします。

当山というもの

宝光寺というお寺がここにあります。
こことは今風に言うと日本国岐阜県大垣市三塚町です。
昔は濃州安八磨郡三城村みつかといったようです。
いまは三塚と書いて「みつづか」と読みますが、
もとは水塚であったろうことを想います。

はじめ大塚大明神という産土神を祀るやしろがあって、
そのほとりで清水が自噴していました。
明治の廃仏毀釈で大塚神社は近くの八幡さまに合祀されてしまいましたが、
その跡は残っていて犬坊丸の供養墓として護られています。
水は今でも自噴しています。

当山は大塚神社の大塚を頂き山号を大塚山として創建されました。
大塚とはなにか? これは不明ですが、大きな塚か、大人君子の塚
もしくは緑豊かな墳墓ということなのでしょう。

日本史上に明らかになるのは、工藤犬坊丸がこの大塚大明神に武運長久を祈ったということです。
犬坊丸とは曽我兄弟に父の仇として討たれた工藤祐経の息子です。

ここで数年過ごして祈り続け生まれ変わって伊東祐時となって源頼朝のそばに仕えるようになり、
伊豆の伊東と日向を領地として持ちます。

この犬坊丸の甥にあたるのが日昭聖人で、日蓮聖人より一歳年長ですが、初めの弟子となった方です。

そして江戸期元禄四年、身延山より七面大明神をご遷座し日蓮聖人のご意志を継ぐお寺となりました。
犬坊丸も当山が自分の甥が人生を賭けてお仕えした方のお寺となったこと悦ばれたでしょう。
自ら長年草葉の陰から祈り続けて魂と生命力をお集めになってそれを実現されたのだろう。
わたしはそうだと感じます。

七面大明神の本地は明らかにされておりませんが、一度龍女神さまとして姿を現されています。
山梨県にある七面山は両彼岸の中日に富士山の中心からご来光が上がるという神秘的地点にあるお山ですから、
コノハナサクヤヒメとのご縁が深い方であることがわかります。山頂には澄んだ池があり、世界的にみる宗教発祥の聖地の相をしています。
また、その歴史の中での神霊のお働きを見ますと、わだつみの神の娘で山幸彦の妻となった豊玉姫の姉であろうとのお話が残っています。仏教側の読み解きではこのわだつみの神はシャカラ竜王というインドでお釈迦さまの教えを受けた八大龍王神の一人とされます。
七面大明神はこの木曽三川水系と伊吹水系養老水系の浄水が集まる水瓶の地下水脈の上に浮かぶこの大垣の地で今はお働きです。

工藤家伊東家と大塚大明神と七面大明神
日本のかんながらが受け取った仏道の叡智と身体性
それが当山です。

これからの仏道


(半年以上下書きに放置されておりましたが、改めて読んでみてまだ通じる事ですのでアップしました。)

時代が大きく変わろうとしています。

これまで宗教を含め人から人へ多くの救済が取り組まれてきました。
特に日本仏教には本来の仏教と特色である「自業自得」。それを超えた。
施無畏(おそれない心を与えるという仏陀の力)
抜苦与楽(苦を抜き楽を与える この苦を抜くが施無畏 浅草観音様へいくと本堂正面にこの仏語が掲げられている)
その人自身の因果応報に由来のない他者主体の救済がある。という価値観が貫かれてきました。

それに今一度問いかけが起こっています。
新時代に最終形としてどうなるかは人類が定めるところに委ねるほかありませんが、

主体的に生きようとする前向きで正直な人たちが、この混迷の社会状況において、
それでも清々しく生きようとする志しに寄り添い、「お響レッスン」を始めております。
すでに数名お稽古を始めておられます。

当山は加持祈祷という日本仏教特有の宗教的救済活動を代々行ってまいり、またその加持祈祷を自ら修する僧への相伝および読経稽古、加持祈祷と大荒行における助経僧を勤めた読師による系譜を受け継いでまいりました。

この系譜をもって、読経による加持祈祷を自ら修め、自らの人生を開いていく、志しの誠実な方に対して門を開き、お稽古道場を営んでまいります。

お稽古はリモートにて行います。

新時代に対応する新しい自分を見出し、ゆたかにこの混迷の潮流を就航いたしましょう。

これは「これからの救われ方」でありまた「あたらしい仏教徒」です。
組織的な制約に縛られることなく、自由に志に応じて仏道を歩む事ができる仏教。
そして仏門へ入ることを出家と云いました。僧侶のことを出家さんとも云った。
日本社会はずっと家系できました。農耕を中心とした家系です。
それが戦後解体され先祖の土地から自由になって働く人で溢れ、高度成長により日本は復興した。
と思ってました。
しかし、場所が変わっただけ、ご先祖の土地と農耕だったのが会社や工場に変わっただけで、
その家系な体質はそのまま継続された。ここが今になって痛い仕打ちとして返ってきています。

仏教の出番だと思うのです。仏教を大いに活用してもらいたい。
なぜなら、仏教は本当の自由、自分からの自由、他人の評価に依存する自分からの自由を説き、
仏道修行はその徳目だからです。

鬼滅となんでもない日常と

私は職業柄、刑務所へまいります。

特に岐阜の刑務所は長期の収容者が多く、一生を塀の中で過ごす人もあります。二十歳前後で刑に服し40年目にして社会復帰するための指導に入るということも度々です。

また最近では薬物依存者が多く、お話をしま。

その人たちの、なぜ犯罪に至ったか?なぜ薬物に手を出したか?その身の上話を聞くわけですが、ほぼ100%幼少期に周りの大人から受ける言葉や態度によって受けた心の傷がきっかけになっていることがわかります。

対話の中で、気がつくことは、犯罪者というより心を患っている患者だということです。ものすごくいい顔をして人に合わせ続けるという、いわばいい人でもあります。

大人の顔色を見て育った人、それはつまり、大人の顔色を見て対応しないと自分が不自由になる環境で育ったわけです。

またほぼ共通していうことは「自分が我慢すればいいのだから」という言葉。それは自分を粗末にする行動に発展し、一線を超えてしまう。

家庭環境が特別悲惨な家庭だったというのは何か空想に近い。普通のサラリーマンと主婦の両親のもとでさほど不自由なく育っていることを見ると、大人から受けた言葉による責任が重いことがわかってきます。

自己否定感を周りから与えられた人たちだということがわかります。

それは親ばかりではなく、教師、そして接する大人全てが子供たちに対する言葉と態度にもっと注意すべきだと改めて深く考えさせられます。
何の気なしに子供だからと言いたいことを言ってしまう大人は少なくありません。でもそんな軽々しい大人の態度が子供にとってはとても大きな問題なのです。

こうして子供に対する接し方にあまり注意せず来た方は、何らかの形で犯罪に間接的に加担している。また、いろんな形でくるしみ もがいている人たちをそうさせた引き金を引いている。

そう思って、今日から改めていく。そんななんでもない日常の見直しが社会を良くすることにつながっています。

今大ヒット中の「鬼滅の刃」は大人たちが他人事に思わず絶対見るべき作品です。

木魚1 

 

人生最大のイベントはいつ来るのでしょう。
仏教では出逢ったらおしまい
とよく聞きます。

出逢うということに大きな意味があり
大きなトランスフォームそのものがあるのです。

あまりそういうことを気にしないで生きている人の方が多数ですが、
「常に自分の側に選択肢が与えられている」
そう思って疑いもしないということがあり
そもそもその人にとっては当たり前すぎて
そういうこと自体考えてみたこともない人がいます。

崇高なる精神とか霊格の高い存在とか
スピリチュアルと最近は言われるもの
この世界は求める求めざるその人の意思に関係なく
影響を受け恩恵を受けています。

でも選択肢、選択権について考えてみたこともないと
ほとんどこれらの見えない恩恵は
降る雨のようにその人に注がれながらも
一滴も潤されないという毎日がすぎていきます。

すごく専門的にこの分野の中心にいても、
まったく同じ状況の人も沢山います。

全ては選択肢についての認識の誤りです。

論理的にやりとりしているうちは
かなりの素養があると見込んでいても
少し具体的に踏み込んで共有してみると
まったく見当違いだったということはしょっちゅうです。

自分の側に選択肢はある。
縁というものは自分が結ぶもので元々は切れている。
そう思い込んで価値判断を構築している人は
人を振り回すから責任ある立場にその人がいたら
その組織集団は大変です。

でも
わかったからといって、どうにもならない のがこの分野の難しさ

かくゆう私にも選択肢はないのですから。

あらかじめ見分ける自分の知見の精度の高さを磨く他なく、
ああまだ精度が低いと反省する他なく、
気づいた時に距離を置くほかありません。

今は亡き兄のような親友とまたいつかその時がきたら

 

九月はお彼岸の月。夏至あたりで最も強くなった太陽の力もここで正中となります。

お彼岸は日本の信仰において最も古い時代から営まれているものです。

彼岸(ひがん)は、向こう岸、此岸(しがん)は日本。この世は娑婆世界と言われるように、苦しみ耐え忍ぶ生活を送る世界。娑婆はサハーという原語の音を拾った言葉、訳すと「忍土」です。

最も古い信仰は、水平観念です。海の彼方に楽土がある。苦しみの無い自由で安穏な世界がある。それが彼岸です。

それは具体的に海の彼方から超人(神)がやって来たわけです。今でいうハワイ・イースター島・ニュージーランドなどポリネシアンだったことが最近の研究で明らかになっています。日本からすると東南の方角、巽ですね。

いくら日本人が海に船で漕ぎ出しても、いけなかった。今では何でも無いことで、日本海溝による黒潮という大きく強い潮流があるためです。でもそれは潮と天候と暦を見極める技術があるかないか、つまり情報技術の問題です。知ってるか知らないかが真相です。

 

今でもハワイへ行けば楽園ということは誰もが実感する。

私は若い頃、ボルネオ島の北東の海にポツンと浮かぶ小さな島へ行ったことがあります。肉眼では他の島は一切見えません。深海から鉛筆のように隆起した島だそうで、沢山の大小様々な魚が島のそばで生活しています。海に潜ればまさに浦島太郎が行った竜宮城、楽園でした。

浜で時折海を眺めながら読書をしてますと、ある時突然小舟に乗った少年二人が海からやって来ました。

その島のコックさんに魚を売りに来たのです。エンジンも付いていない手漕ぎの小舟でどこにも他の島など見えない海からやって来た少年。あの時の感触はまさに神様のお使いのように神々しく思えました。屈託のない笑顔、健康的な顔に透き通った目と真っ白な歯の少年が新鮮な魚をもたらしてくれる。まさに彼岸からやって来たエンジェルです。

その晩には赤身の刺身が出ました。醤油とワサビもあります。友人と二人鉄火丼にして食べてますと、他の滞在者が横を通るたびに「何だそれは?」とあらゆる言語で聞いて来ます。

「ジャパニーズフード スシ テッカドン」と教え、その切望の眼差しに負け、何杯も鉄火丼を二人で作り、とても悦んでもらいました。

誰も何も文句の付け所がない楽園。以来私はどんなに辛い便りがあっても、同じこの地球上にあの青い空と海、満天の星、寄せては返す波、多種多様な魚が共存する、穢れのない楽園が確かにある。地球はあのように美しいのだという確固たる確信と、それは住む自分たち次第だという確信を深く魂に刻みました。

あの時です、自分の楽しみはこの人間社会がもう少し美しくなるまでお預けにして、役割を果たそうと心に決めたのは。そしてお釈迦様・日蓮聖人・七面様が望まれる忍土即楽土の為の自分の役割が果たせた時、またあの島へ行こうと、以来約二十数年そろそろ始まる兆しが見え始めています。

R仁・蜂・丗 宝光寺潮叡

コロナとお弔い

 

いつも貴重な情報を下さる方から
「週刊誌に注目すべき記事が載っていました」とのお便りを頂き、
その記事を送って頂きました。

最近コロナで日々のルーチンワークが変わったので全く読んでいなかった週刊現代。
中々面白い記事が出てますので間借り読みをしておりました。

今回は自分の専門分野のこと、
コロナでここまで変わった葬式のやり方」「死後の手続き」
という特集です。

内容は、今際の際での病院と親族のやりとりに始まり、病院と葬儀社との提携話、葬儀のあり方についての三密回避、法要のあり方、参列ご辞退のお願いは出しても僧侶の数は減らすな(これなどちょっと我田引水の匂い)、死後事務手続き(これはとても大事)、この7月10日から「法務局による自筆証書遺言の預かり制度」が始まったとのこと、これも注目すべきところ。後は、名義変更や相続のお話です。

正しく判断ができるために前提は、
まず、今行われている葬儀はいつからかということです。そんなに昔からではないのです。お墓の形もそうです。
かつては土葬で、当然家で亡くなります。亡くなった肉体を丁重にお祀りしお体を清め、一方では野墓(墓場)に穴を掘り、お棺に収めて皆で行列し埋葬する。そしてその後お寺へ無事埋葬した報告を兼ねてお参りにいく。これを町内の皆で手分けして役目を担い、互いに野辺の送りをしていました。火葬の起こりは道昭和尚の弔いの時、道昭和尚とは飛鳥・奈良時代の名僧、師匠は玄奘三蔵、弟子には行基がいます。火葬はかなり貴重な弔いで、火葬が終わるころつむじ風が起きて遺骨は散逸したというのは注目すべき言い伝えです。

魂という字のヘンは雲の下半分で、死者の魂は煙とともに天にのぼるとされ、衛生面もありましたが、信仰的に行われました。お釈迦様も火葬ですから道昭和尚の思いはそこにあったのでしょう。
しかし日本では気候が違って環境的な問題よりも日本古来の信仰性を深く結び続けたのでしょう。それでも江戸期にはかなり多く火葬が増えてまいりました。特に人口密度が高いところほど。当然お墓の様子や儀式も変わります。前にも紹介した供養墓と埋葬墓のしきたりは特に都市部と地方で変わってきます。

今の葬儀やお墓は明治期に出来上がったものです。戦後という地域もあるでしょう。近代文明とともにその生活様式に合わせてできたもの。まるっきり変更したのではなく、前の時代から引き継いで残ったものとの折衷でできています。

時代関わり始める時、近代的なものに対する見極めが肝要です。

日本では信仰的行為がかなり日常生活の作法に当たり前に備わっているということ、宗教行為であるということがわからなくなるくらいまで当たり前になっている。

告別式という言葉。葬儀ではないもの。初めての告別式は中江兆民のために行われたとされます。「告別式」とは「葬儀をしない」という意味でもあります。宗教色を一切抜きにして送るために発案された言葉が告別です。お線香も薫じないという徹底ぶりでした。

今後どうなっていくのか?

要点はこのようなことでしょう。
まず、亡くなった人に対しての報恩が中心にあるということ。つまりこちら側が何をしたいかということです。自分が当事者であるときも、また、縁者が亡くなったことについても、身近な家族がお送りし恩に報いた時間を過ごせることを第一にすることです。

とやかく周りが自分の主張をしないことはとても大事です。

魂は自由です。報恩の深い思いがあればスッとどこへでも自分がいるところへ来てくれるものです。すべては自分のもとにある。(自分家で家系以外の供養をしてはいけないなどというのは、我田引水です)

長男がやるとか、ここでやるとか、こうしなければならない。というのは肝要を弁えない人の主張です。

「僧侶に来てもらわねば」というのも、自分が読経に心得がないからできる人に来てもらう。という一つの考えを持っておかれると良いでしょう。

古来より良き日本人の心得は、なんでも自分でできるようになるということです。
実は自立性に長けていたのです。おそらく今風な日本人はこの180年間に強まったのでしょう。

ぼんさんと信仰熱心なオヤジさんとの話があります。
日頃から三日に一辺は間違いなく酒を酌み交わしながら仏道を習っていました。
やがてそのオヤジさんは亡くなります。
お寺へ村内の人がぼんさんを迎えに参りますが、何度迎えに行っても、「そのうちいくから」との返事ばかり。やがて時が来てオヤジさんは埋葬されます。

引導もなくどういうことかと、村内のものが尋ねますと、ぼんさんはこう言います。

「オヤジさんとはいつもいつも仏道の話を繰り返し共有してきた、かなりの悟りを2人で気付きあって涙を流したものだ、それが何よりの引導であり仏陀の功徳。
今際の際、野辺の送りに至っては何ももうワシがすることはなかった」と。

今は空間と時間の制約がなくなった世界。親子夫婦も、日頃の繋がりを見直して、その時になって慌てたり後悔しないようにライフスタイルを調えましょう。

自分の身の丈に合わせ、背伸びしないで、精一杯研鑽に励みつつ、その自分で出した答えに誠実に生きる時です。

 

 

 

インサイドアウト 2 3

「人は死して後、どうなるのでしょうか?」

私は刑務所にご縁がありまして、頻繁に呼ばれて参ります。

中で生活されている方達にも信教の自由が保証されており、求めに応じて宗教者が呼ばれ、お話を聴いたり、供養をしたりいたします。法話を頼まれることもありますから、私は時折冒頭の言葉を投げかけて皆さんに質問をしてみるのです。岐阜の刑務所は比較的刑の重い方が多く、生涯を暮される方もあります。

 

子供の頃に死後の話をおとぎ話にして聞かされ、心根に死後に至るまでの想定が備わっている人、近代的に育った人は「死んだらおしまい」という意見を持つ人が多いです。

死後の世界を科学的に検証すること、哲学的、宗教的にお話することもできます。仏教信仰はいわば倫理性がしっかりした宗教ですから、私はさらにこんな質問を投げかけてみます。「死んだ後も自分の命には続きがあるでしょうか?それとも死んだら命はすっかり消滅し、他人の記憶の中に過去の姿が残るだけなのでしょうか?」と。

絶句する方、沢山の読書によって自説をお話しになる方、信仰する教えに説かれるままにお話しになる方と、様々です。

私は続けて「では、死んだら全てはそこで終わり、成し遂げた偉業も功徳も一緒に消えて無くなる、犯した罪も悪事も全ては死ぬまで隠し通し、逃げ切ればそれで帳消しになるという信心の人と、死後も続きがあって、生きている間に解決しなかったことに取り組め、また成し遂げた功徳を繰越し、犯した罪と向き合い続けるチャンスは続くと信じて生きている人と、どちらの人をあなたは信じますか?」と。

答えは明白です、嘘でも「私は続きがあると信じている人間」としての格好をつけていないと生きていくことは困難になります。

どうしても現代を生きる我々は事実を主体にものを考えてしまいます。どうしても理解したい。解らないものは受け容れない。解ったら信じるが、解らないから信じないというのは心の疫病です。

自分はこれを信じている、こうあるべきであるということが人として大切で、それに自分は取り組んでいる。自分のちっぽけな理解力になど振り回されない。私は仏菩薩の理解力を信じている。それが自分で自分を信じられる大安心であり、周りの他人から大事にされる秘訣です。

こんな話を、皆さんとても熱心にお聞きになります。塀の中である事を忘れるほどです。

 

日蓮大聖人も死後の旅路についてお書き残しになっています。初七日から始まる七日七日の道行き、五七日忌には閻魔様の御前へ参ります。そのそばには倶生神さまもおられます。その時どんな報告が出来るか?そんな意識で今を生きるのが信仰です。

辛うございました。足がすくみ泣けてくるほど怖いことがありました。それでもお釈迦様日蓮聖人様の教えを離さず、信仰にあきらめず、此経難事を覚悟してお題目を口ずさみ、倶生霊神符の御守りを肌身離さずに生き抜きました。そう胸を張って堂々と申し上げる。閻魔様も憐みつつも誉めてくださる。そして、あの不幸も、苦悩も、「ああよくやった」と、微笑をもって思い返し、自分でも褒め称えながら、ゆっくり休める時がくる。倶生神さまは大きくうなづかれることでしょう。そう確信して生きる。そうなるかどうか確かめようがないなどという心の疫病を治す法華経の信心、「心から世界は生まれる」という法華経の大真理に自分をなげうって今を生きる。この確信において堪忍できる。そんな透き通った信念が今こそ必要です。

「人は死して後、どうなるのでしょうか?」

私は刑務所にご縁がありまして、頻繁に呼ばれて参ります。

中で生活されている方達にも信教の自由が保証されており、求めに応じて宗教者が呼ばれ、お話を聴いたり、供養をしたりいたします。法話を頼まれることもありますから、私は時折冒頭の言葉を投げかけて皆さんに質問をしてみるのです。岐阜の刑務所は比較的刑の重い方が多く、生涯を暮される方もあります。

 

子供の頃に死後の話をおとぎ話にして聞かされ、心根に死後に至るまでの想定が備わっている人、近代的に育った人は「死んだらおしまい」という意見を持つ人が多いです。

死後の世界を科学的に検証すること、哲学的、宗教的にお話することもできます。仏教信仰はいわば倫理性がしっかりした宗教ですから、私はさらにこんな質問を投げかけてみます。「死んだ後も自分の命には続きがあるでしょうか?それとも死んだら命はすっかり消滅し、他人の記憶の中に過去の姿が残るだけなのでしょうか?」と。

絶句する方、沢山の読書によって自説をお話しになる方、信仰する教えに説かれるままにお話しになる方と、様々です。

私は続けて「では、死んだら全てはそこで終わり、成し遂げた偉業も功徳も一緒に消えて無くなる、犯した罪も悪事も全ては死ぬまで隠し通し、逃げ切ればそれで帳消しになるという信心の人と、死後も続きがあって、生きている間に解決しなかったことに取り組め、また成し遂げた功徳を繰越し、犯した罪と向き合い続けるチャンスは続くと信じて生きている人と、どちらの人をあなたは信じますか?」と。

答えは明白です、嘘でも「私は続きがあると信じている人間」としての格好をつけていないと生きていくことは困難になります。

どうしても現代を生きる我々は事実を主体にものを考えてしまいます。どうしても理解したい。解らないものは受け容れない。解ったら信じるが、解らないから信じないというのは心の疫病です。

自分はこれを信じている、こうあるべきであるということが人として大切で、それに自分は取り組んでいる。自分のちっぽけな理解力になど振り回されない。私は仏菩薩の理解力を信じている。それが自分で自分を信じられる大安心であり、周りの他人から大事にされる秘訣です。

こんな話を、皆さんとても熱心にお聞きになります。塀の中である事を忘れるほどです。

 

死んで後、ご本仏様、梵天帝釈四大天王、閻魔様の見前に参るその時、どんな報告が出来るか?、その傍らには倶生神さまもおられる。そういう未来を二重映しに見ながら今を生きるのが信仰です。

辛うございました。足がすくみ泣けてくるほど怖いことがありました。それでもお釈迦様日蓮聖人様の教えを離さず、信仰にあきらめず、此経難事を覚悟してお題目を口ずさみ、倶生霊神符の御守りを肌身離さずに生き抜きました。そう胸を張って堂々と申し上げる。閻魔様も憐みつつも誉めてくださる。そして、あの不幸も、苦悩も、「ああよくやった」と、微笑をもって思い返し、自分でも褒め称えながら、ゆっくり休める時がくる。倶生神さまは大きくうなづかれることでしょう。そう確信して生きる。そうなるかどうか確かめようがないなどという心の疫病を治す法華経の信心、「心から世界は生まれる」という法華経の大真理に自分をなげうって今を生きる。この確信において堪忍できる。そんな透き通った信念が今こそ必要です。

インサイドアウト 1

ある業界紙からの依頼を受けて書いた原稿が検閲で三つの話題の繋がりがわかりにくという理由で書き換え要請がきた原稿、ここにお蔵入りが脇から出てきたというよくある心理現象インサイドアウトします。ほんと繋がりわからん。そうかな?などいろんなアンラーニングにご活用ください。

 

揺らぐ木草、流るる水は仏様

今年初めから始まった騒動、原因へ遡ってみれば、貧困格差に辿り着きます。風が吹けば桶屋が儲かるような話ですが、確かにそうなのです。世界最古の文学作品といわれる「ギルガメッシュ」の物語に基盤を置く現代社会では、自然界を忌み嫌うものと捉え、人間が退治または整備しなければならないものという前提があります。一方日本的社会基盤は「もののけ姫」や「風の谷のナウシカ」です。自然界そのものが報恩の対象であり、人間が自由に出来ないもの。すべての宗教自体、日本的でしたが、約三六〇年ほど前から動向は変わり、世界に広がりました。

ウイルスも元は自然界の奥にいて、人がじかに接する事はありませんでした。日本でいう猪や鹿や熊の獣害のように住処を脅かされ、人間社会に新たな住処を求めて来ました。

宮沢賢治さんが「世界がぜんたい幸福になれなければ、個人の幸福はありえない」と叫んだ事、深く実感された方々も少なくないでしょう。

この騒動は一方で、グローバル資本と南北貧困格差と環境破壊温暖化の問題解決の緒を与えています。世界の大気や水が劇的に綺麗になっている。個々の取り組みの総和は大きい、日蓮大聖人がご指南された世直しの法を実感いたします。

 

転我邪心の心得

日蓮大聖人は「正しい教えは神や人を養う良薬となる、しかし、良薬の名前だけ用いて、儲けを増やそうと水で薄めてかさ増ししたり、別な成分を加えれば毒薬になるように、せっかく久遠の釈尊が、良き薬草を調合して良薬を処方されるように真実を説かれたのに、それを毒薬のようにしてしまった、それによって養われた神々は守護する力を失うどころか、邪神となってしまった」と説明されています。

皆さんは、毎月倶生神さまのお守りを拝受し、身に着けて日々の安穏を得ておられます。その倶生神さまも諸天善神と同様に皆様がお唱えになる法華経によって養われています。

疫病と疫神と私の関係です。

 

抜苦の信仰

人は死して後、五七日忌には閻魔様のところへ行きます。そのそばには倶生神さまもおられます。その時どんな報告が出来るか?そんな意識で今を生きるというのが信仰です。

辛うございました。足がすくみ泣けてくるほど怖いことがありました。それでもお釈迦様日蓮聖人様の教えを離さず、信仰にあきらめず、此経難事を覚悟してお題目を口ずさみ、お自我偈を繰り返しお唱えし、すべてのものから仏様を彫り出す工夫をして一生を生き抜きました。そう胸を張って堂々と申し上げる。閻魔様も憐みつつも誉めてくださる。そして、あの不幸も、苦悩も、「ああよくやった」と、微笑をもって思い返し、自分で自分を褒め称えながら、ゆっくり休める時がくる。倶生神さまは大きくうなづかれることでしょう。そう確信して生きる。そうなるかどうか確かめようがないなどという理性的疫病はもうやめて、「心から世界は生まれる」という法華経の大真理に自分をなげうって今を生きる。この確信において堪忍できる。そんな美しい心が今こそ必要なのであろうとつくづく思うのです。

信仰はどんな絶望の淵にも咲く花を見つける目を与えてくださいます。どんな苦々しい毒の中からも薬を嗅ぎ分ける鼻を与えてくださいます。

この騒動の最中、母を亡くし死後の道を、教えを手掛かりに共に歩んだゆえの気づきを、ご紹介致しました。ありがとうございました。

木魚 0

 

最近、
お坊さんが読経時に木魚を叩くのはなぜ?
というクイズが話題になっているようです。

これ、「居眠りしない為」というのが、この話題の中での正解です。

でも、それが肉体的な眠気覚ましというと、
お釈迦様からは「30点!」と諭されます。

それでも正解ではあるのですが、もったいないことです。

仏教の譬え話として、
我々人間はある意味ずっと酒に酔って酩酊しているようなもの、
そうでなかったらお釈迦様と何も変わらない。

というお話があります。

酔いつぶれて眠っているように生きている。

だから、仏様の言葉(お経)を発声し、木魚を叩いて、
自分で自分の心の目を覚ませ!

この、目を覚ますことが
修行の大事な目的となっています。

「さとる」というのは、悟とも書きますが覚とも書くわけです。

ところでなぜ叩くのは木魚なのでしょう?

魚板や魚鼓、また鰐口(わにぐち)というものが古い仏閣には吊るしてあります。
それはかつて目覚まし時計の役目を果たしていました。

これも魚たちです。

昔の人と今の我々の違いがあります。
それは、自然界から学ぶ、
周りの身近なものは全て自分に何かを教えようとしてくれている存在だ。

という確信の中に日々生活をしているかいなかです。

魚菩薩様に向かって教えを乞うておりますと、
あることに気づきます。
「あっ片時も眠らないのだ魚菩薩は、常に目覚めている仏様のようだ」という気づき。

以来、その魚から生命力と覚悟力を頂くために、魚の形をした板木や木魚を拵えて叩き、
啓発を日々得たのです。

とっちめるためのものではなく策励です。本来の姿を自覚し反れと。

この世界は常に陰と陽、明と暗、動と静というように、二つの対極の間を行き来しながら調和が保たれています。昼は明るく夜は暗いのが良いのです。動き回ってばかりいては得るものも逃します。放出と受容、積極と消極、強い柔いそれぞれに取捨択一できない価値があります。

仏菩薩は眠りながらも目覚めているのです。

良い機会と思い、今後時折この「木魚」という名前で心の「目覚め」を共有するお話をご紹介してまいりたいと思います。

 

モノからコトへ

説法供養 5

親(主・師)孝行、したいときに親(主・師)はなし
というコトわざは、後悔のイメージが強い。

本来は、偉大な親(両親や親のような人)や主(雇用主や主人)、師匠の言葉や行為は随分後になってからその真意に気づく、という気づき。偉大であるほど時間をかけて人生に浮上してくる。
また、偉大な子(従・弟子)ほど、親(主・師)の崇高さが遠く遠く長い年月にわたり、子孫にまで被って深い気づきが継続していく。
まさに語るはカブレル、謳うはウッタエカケルが語源の通りだ。

次のこの世に生まれ変わってきたときまだ、前のこの世での自分の偉大さが語られている。
報恩の巽風が吹いている。

「親孝行、したいときに親はなし」と、自分も言えるようになったんだなぁ
と、自らの成長を自分で自分を褒めるという、アイディンティティが確立する
これが仏教でいう安心立命(アンジンリュウミョウ)の境地です。
自己承認欲求という他人に認めてもらわないと気が済まない欲求は、
自分のことをよく知っている自分から逃れようとする脇道。
そこから抜け出して透明で誠実に生き始める入門編です。

 

さて、

人類の長い長い潮流がひとところに集まり密になっている今

狩猟採集的 1万年〜3万年前まで
農耕備蓄的 1万年
工業資本的 西洋では約360年 日本では約180年
情報格差的 おおよそ60年

人類が辿ってきたそれぞれの時代の主流と産業は
断片的にその時代その時代だけのものではなく
前の時代のモノのが次の時代のコトにうまく乗り合わせ
時代を超えて生き延びている

そうして今 この人類700万年?400万年?30万年?3万年?の潮流が
近代という都市密集型能率効率最優先文化によって共存している

それぞれの時代の特徴を紐解いてゆけば
自分が何時代的であるか一目瞭然

いわば 人類史から読み解くバイオグラフィー

明らかな事は
前時代のモノは次時代のコトにうまく乗り合わせることで
時代を超えるということ
これが新時代に生き残る重要素

今 まさに次時代の扉がフルオープンになった

然るに
ここで仕損じるか仕損じないかは
モノはそのまま抱き抱え続けてもいいから
コトの方は手放すということ
これで決まる

次の時代はいかなるモノゴトが主流か?
おおよそ見え始めているが
それも現時代のコトの主流の中から生まれてくる

まさに激動の乱世

先師先哲 父母師匠がやってきた
コトに乗っかっていると共倒れる
モノを引き取りコトを自ら見出していく
そこに恩ある人を護っていく活路がある

全ては自分の思いと考え(こころ)
起きたモノは選べない
起きたコトは選ぶことができる
ただそこには心があるだけ
チャンスは心にある 心は環境にある

昔の聖者はこれを

月こそ心よ 花こそ心よ

と詠んだ

見えているものは
他人ではなく自分なのだ
自分のことは観察できても
人のことは尋ねるしかない
この自他の関係に徹底して対話する

己こそ己のよるべ 己をおいて誰によるべぞ
よく調えし己こそ まこと得難きよるべなり  ダンマパダ

この前提(前庭)を抜けたところに
大人の入り口がある

その入り口で待つしかないのか

 

 

宝光寺潮叡 拝